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エヴァグリーン今昔物語 <10>

アレン先生が帰国した昭和48年頃は、毎週10通位日本で勉強を教えたいとのresume(履歴書)が送られてきました。当時、東京で先生を探すことはできましたが、アメリカからの新鮮な先生と思い2年間を契約期間として二人づつ採用することにしました。たまたま大学を卒業したばかりの可愛いヤング先生と美人で明朗なカレン先生でした。二人とも学校の成績はオールAで優等生でした。ミス・カレンは故郷のフィラデルフィアのboy friendと婚約していて2年間働いた後、結婚の予定でした。boy friendは彼女の2回の誕生日に必ず日本に花束を持ってきました。しかし、彼女は日本であまりにもちやほやされたので、彼との関係をどうしてよいか迷い始め、彼との婚約を破棄しました。家内と4人で熱海の温泉で一泊した時には、二人は本当に愛し合っていたようだったのに。2年が過ぎて彼女はあるホテルの英語の先生として働き始め、その後数年他の先生に会いに学校に来ましたが、いつのまにか音沙汰がなくなりました。

ミス・ヤングは勉強家で日本語を勉強するために1年半で辞め、後にコロンビア大学で日本の歴史Phdの学位を取得。ジョージタウン大学で助教授として教えはじめ、、日本には学会などで1年おき位に来日し、研究していました。彼女が日本に深く興味を持つようになったのは、おじいさんがGHQの財務官としてやってきて、日本の復興のために働いていたことがあるからだそうです。ニューヨークのテロの事件後子供の事や安全を考えて、今は父親が教授をしていたウィスコンシン州立大学で教えています。この二人の先生は当りましたが、その後の何人かの先生は期待したほどではありませんでした。

また、当時は政府外貨手持ち額が極めて少なく今日のようなレジャー目的とした旅行はとて も考えられませんでした。渡米を決意し、日吉駅の近くにようやく買った土地60坪を坪8 千円で売り渡米の費用としました。当時は飛行機を利用する人が贅沢で、船を利用する人が 多かったのです。もちろん私も船で行く事にし、アメリカの客船ウィルソン号に乗りました。 当時渡米に憧れ、見送りに来て下船せず、そのまま居残って出国する密航者が必ず毎回2、 3人はいたそうです。おりしも同じ食卓で親しくなった紳士(自称貿易会社取締役)も5日 目ぐらいから現れず、密航者だと知らされ、失望しました。

約2週間の長い船旅の後、ようやくあの美しい金門橋の下を通過しサンフランシスコに到着 。一緒に来た留学生達は別れを惜しんでそれぞれの目的地に旅立っていった。シカゴ行きの 汽車に乗り指定された席をみると、すごく太った女性が座っていて、その隣が私の席なので、 私のような細い体でもどうかなと思った程です。やはり車掌は私を気の毒におもったのでし ょう、彼女を他の席に案内しました。シカゴ迄50時間汽車に乗るのに手持ちのドルはいつ のまにか僅か50ドル、これでは食堂車は利用できないと思いハンバーガーを沢山仕入れてシカゴに向かいました。

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