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金曜日の最後の時間が終わると「ほっ」とした。本を読んでのレポートのassignment(宿題)が多く、その上タイプをして提出しなければならなかった。タイプが苦手な私には時間がかかった。時間にうるさい教授の授業の時、数分遅れると教室に入れてもらえず、食堂の管理者もとても時間に厳格で遅れると食事ができなかった。そのくせ電車は日本の電車のようにpunctual(時間を守る)ではなかった。
その頃はhit the books(がり勉をする)とかhit the hay (寝るのが遅くなる)burn
the midnight oil(夜遅くまで勉強をする)等の表現が生まれ、学生たちは勉強意欲を如実に示していた。
当時、日本から私を訪れた会社の社長やbig wig(お偉方)たちは、寮で私達と一緒に食事をとる際に非常に驚いたことがあった。それは寮のメニューが厚みのあるステーキに、美味しいマッシュポテト、デザートに量の多いアイスクリーム、飲み放題のミルクを見て、こんなご馳走を毎日食べているとは贅沢だなあとよく口にしていた。その当時、日本でステーキは非常に高く、一般の人の口に入ることはありませんでした。日本からコーヒー、チョコレート、紅茶などは高くてなかなか手に入らないので送ってくれるよう頼まれた。
アメリカの大学生の殆ど全部が親からの仕送りなしで生活をしていた。高校を卒業したら、親から独立しなければならない習慣です。その点日本の学生とは大いに違い偉いと思っています。私も自分の息子になるべく早く独立の精神をもってもらうようにとアメリカの大学のはじめの2年間の費用を私が出し、あと2年間と大学院の2年間は自分でやっていくようにさせた。
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