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エヴァーグリーン今昔物語
エヴァグリーン今昔物語 <1>
突然ですが58年前の日本における英語事情とは?みなさん想像がつきますか?
英語学ぶ.comの親会社エヴァグリーン英語学院が開校して、すでに58年余りの年月が経とうとしています。そこで、そのころの日本に戻り、当時の様子をご紹介しつつ、 エヴァーグリーン英語学院の波乱万丈のままを連載して行きます。

まずは主人公の学院院長が日本を旅立つ場面から始まります。

私が米国へ留学したのは1957年の7月で31歳の時でした。当時文通をしていた米国のある教会の総長から留学の招きがあり、最初は小躍りをして喜んでみましたが、旅費の事を考えると頭が痛かったのです。当時の旅費も現今の旅費もほとんど同じ位で、行き先のシカゴ迄は飛行機で21万円でほぼ私の年収くらいしたのですから、それは私にとって大変な費用でした。

また、当時は政府外貨手持ち額が極めて少なく今日のようなレジャー目的とした旅行はとても考えられませんでした。渡米を決意し、日吉駅の近くにようやく買った土地60坪を坪8千円で売り渡米の費用としました。当時は飛行機を利用する人が贅沢で、船を利用する人が多かったのです。もちろん私も船で行く事にし、アメリカの客船ウィルソン号に乗りました。 当時渡米に憧れ、見送りに来て下船せず、そのまま居残って出国する密航者が必ず毎回2、3人はいたそうです。おりしも同じ食卓で親しくなった紳士(自称貿易会社取締役)も5日目ぐらいから現れず、密航者だと知らされ、失望しました。

約2週間の長い船旅の後、ようやくあの美しい金門橋の下を通過しサンフランシスコに到着 。一緒に来た留学生達は別れを惜しんでそれぞれの目的地に旅立っていった。シカゴ行きの 汽車に乗り指定された席をみると、すごく太った女性が座っていて、その隣が私の席なので、 私のような細い体でもどうかなと思った程です。やはり車掌は私を気の毒におもったのでしょう、彼女を他の席に案内しました。シカゴ迄50時間汽車に乗るのに手持ちのドルはいつのまにか僅か50ドル、これでは食堂車は利用できないと思いハンバーガーを沢山仕入れてシカゴに向かいました。

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